家族経営に対する想い・その1

僕は金物団地に所在する会社に住んでいました。
4階建てで、1〜2階が会社の事業所。3〜4階が自宅部分。
厳密には4階は屋上でそこに小屋のような住居スペースを増築していました。
中学3年か、高校1年くらいの時に3階にある1室を僕の部屋として与えられました。
1階が事務所と倉庫。2階は倉庫と祖母の経理室と応接室がありました。
建築金物を商材としていたので、在庫を置くスペースはそれなりに必要でした。
小さい頃は人並みに悪ガキだったので、勤務時間中に従業員の方と倉庫で鬼ごっこをして遊んだり、商品を運ぶリフトに一緒に乗って遊んだり(人が乗ったら事故の可能性があります。)テトリスを一緒にやったりしました。
平成初期だと、会社もまだ力があったのか、親族を含め社員は10人はいました。
親族は父が社長、祖母が会長兼経理、母が事務、祖父(初代社長)の弟が専務、祖父の弟の奥さんが事務。
親族ではない従業員は営業と事務という構成でした。
会社が自宅だと、会社に訪問される業者の方とも知り合いになります。
よく、「よっ!次期社長!」などと言ってもてはやされました。
それでなんとなく、将来はこの会社を継ぐんだろうなと考えていました。
ところが、高校生の時に会社の状況が良くないんだと初めて知りました。
世間がリーマンショックで経済不況に陥った頃、父と祖母が会社の経営方針を巡って人目をはばからず口喧嘩をするようになりました。
四六時中やるもんで、普段温厚な僕もたまりかねて怒ったことがあります。
うるさいし、不愉快だと。年端もいかない弟ですら怒ってしまうほど。母は心労が溜まって自室にこもるようになりました。
父は口喧嘩に疲れて祖母が色々主張しても無視するようになりました。毎度眠ったフリをしていたのが印象に残っています。
当時の端から見た喧嘩の印象が強くてネガティブな思い出になっていますが、お互いに真剣に悩んだ結果、出口が見えない袋小路に迷い込んでしまって苛立ちが口を突いて出てしまったんだろうなと今なら思えます。
だいぶ悪いイメージで言っていますが、父も祖母も普段は優しくてユニークな人柄で大好きです。今の僕の人格形成に色濃く影響しています。
大学生の頃に、日商簿記2級を取得しました。それで、祖母が僕に頼んでも大丈夫だろうと判断したのか、手計算かつ手書きの試算表の貸借が合わないので手伝ってほしい。と頼まれました。
この試算表の間違い探しを数年にわたって何度も頼まれるようになりました。
祖母も高齢だし、家族と会社の安寧のためには僕自身が会社の数字に明るくなる必要があるな、と思いました。
(続く)

